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パスワードを忘れた方
セッション
禅と無  ネルケ 無方 氏
1.キリスト教文化の中で生まれ育って(生と死を考える少年時代)
2.禅に出会う(坐禅で目覚めた身体感覚)
3.ドイツから日本へ(坐禅がしたい!)
4.修行時代(お前なんかどうでもいい。お前が仏になれ!)
5.安泰寺の住職になる(きゅうりのように育ちなさい)
6.「無」
5.  安泰寺の住職になる(きゅうりのように育ちなさい)

そうしてしばらく経ったころ、思わぬ凶報が私のもとに届きました。師匠の宮浦信雄師がブルドーザーで転落して亡くなったというのです。私は急いで大阪を離れ、安泰寺に向かいました。私は師匠の五番目の弟子で、最後かつ最低の弟子です。四人のしっかりした日本人の兄弟子がいるのですが、彼らには「お前はヒマそうだから、春まで安泰寺の留守番をやってくれないか」と日本人の先輩たちが言います。先輩たちにはすでに家族があったり、檀家のいるお寺があったりして、安泰寺の住職として移り住むことができなかったのですね。

私は、師匠の訃報に接して安泰寺に来ただけでした。すぐに大阪に戻るつもりだった、というのも、私には、ブルーシート道場で知り合った彼女がいました。大阪に飛んで帰って彼女に会いたかった。バレンタインデーの2月14日を一緒に過ごしたかった。しかし、先輩たちの説得を断りきることができず、春までここにいることになってしまった。私は電話で彼女に謝りました、そしたら、「うん、分かった。春まで待ってあげる」と彼女が言ってくれました。その彼女は、今の私の妻になっています。

そして、春になりました。すると、また先輩たちが「外国人でもいいから、お前が安泰寺の住職をしたらいい」と言うのです。彼女も安泰寺に来てくれると言うので、私は安泰寺の住職になることを決めました。34歳のときです。1993年に出家し、師匠に8年間師事し、私は、一人前の僧侶として認められ、弟子を持つことが許されたのです。禅で師匠の跡を継ぐことを「嗣法(しほう)」と言います。私は、師匠の跡を継いで、安泰寺の住職になりました。

「安泰寺はお前がつくれ!」「お前なんかどうでもいい!」矛盾するように聞こえるこのふたつの言葉が、今も基本方針です。みんな各々が責任をもって安泰寺をつくるんだ。しかし、そのためには、各々が自分のエゴを捨て、自分を手放し、忘れなければいけないんだ、と。当初は托鉢もしていました。しかし、雪の季節は完全に閉じ込められる豪雪地帯にある安泰寺ですから、まちに出ていただくのではなく、身近にある大自然から食べものをいただこうと、自給自足を始めました。いまでは、完全自給自足で食べものを自分たちの手でつくっています。冬の間の保存食もたくさんつくります。ご飯は毎日かまどで炊きます。薪割りは重要な仕事の一つです。

現在、弟子は15人。日本人はもちろん、アジアやヨーロッパ、南北アメリカ、世界中から弟子が集まってきます。本当にいろんな人がいますが、私は畑でつくっている野菜になぞられて、「きゅうりのように育ちなさい」と言っています。きゅうりは自分でツルを伸ばして、すくすくと上に伸びていくのです。仏法という一本の紐を自分でつかんで登っていくように。

きゅうりのように、すくすくと上に伸びて育つうちに、後ろから仏に支えられていると気づくことがある。その時、はじめて、周りの人にやさしくできる。しなやかに共生することができるのです。

ちなみに、トマトは、非常に手をかけなければなりません。誘引の紐をたくさんつくってあげて、余分な葉も事前に手で積んであげなくてはなりません。事前に危険をすべて取り去って、たくさんの手をかけて育てる。トマトは日本人に多いタイプだと言えます。幼稚園の時からいろんなルールに縛られて、過剰に守られて中学生・高校生をすごし、社会に出てからも縛られている。また、欧米人はかぼちゃです。最初、かぼちゃはきゅうりととても似た感じで育っていくのですが、あるところから、かぼちゃは紐など全く無視して、オレが、オレがとあちこちにツルを伸ばして自己主張していく。

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