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コウノトリと羽箒  下坂 玉起 氏
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それでは早速、茶の湯の羽箒について見ていきましょう。

羽箒の種類をご説明します。
まず形から羽箒の種類を説明します。(写真を見ながら)
 ・三枚を重ねる「三ツ羽」が基本で、羽の寸法、
  結い方は流派で違います。
 ・「一ツ羽」は古式の羽箒で、武家流では様々に、
  千家流では酷暑用に使います。
 ・「掴み羽」は柔らかい羽を何枚も重ねた実用の
  羽箒です。
 ・「座掃き」は畳や床を掃く大型羽箒で、儀礼用や飾り用にも使います。
  大型の左右の風切羽を7枚重ねたものや、千家流では片翼丸ごともあります。
 ・「小羽箒」は主に茶箱用です。その他、茶掃箱、火入れ、香炉、灰型作りにも使います。

なぜ羽の箒なのでしょうか。
 ・まず実用性。羽は柔らかくしなやかで道具を傷つけず、微粒子も筋状に残さず掃けます。
 ・それから象徴性。鳥は天界を飛ぶ神聖で清浄なイメージから清めの道具に適しています。
 ・自然美。羽の自然のままの美しさを愛でるので、ほとんど羽に加工はしません。

羽箒は象徴的また儀礼的な道具であるということ。
 ・羽箒は茶人を象徴するものとして、手に持っている茶人像がいくつかあります。
  利休像、金森宗和像、松尾宗二像、また江戸時代の茶の湯人形も手に持っています。
 ・禅僧や茶人の羽箒画賛は、「心の塵を払う」という茶の湯の精神性を象徴しています。
 ・流派に寄っては、迎付けや亭主の席入り、また茶を点てる時にも使います。

羽箒の歴史を見てみましょう。
茶人自らが作るものだったので、茶人の好みの変遷を知ることができます。
 ・利休以前は、羽一枚に竹の皮を巻いて柄にしたり、
  桑柄に挿していました。
 ・利休は三ツ羽を創始し、曲がったままの羽軸を
  束ねて竹皮を巻き、竹紐で結びます。
 ・藪内流は利休の形をほぼ踏襲し、紐は紙縒りで掛け緒があり、座掃きも三ツ羽でします。
 ・細川三斎自作の一ツ羽は現存最古級で、曲がったままの羽柄に直に竹皮を巻いています。
 ・古田織部は羽箒に執心し、鳥種は、黒鶴、白鶴、野雁、鴻に限るとし、
  用途や飾り方を定めました。羽軸を切って竹の柄に挿し三本を縦に重ねて柄を竹皮で巻き、
  余りを横に折り上げ、竹皮の紐で結ぶ、現在の武家流の三ツ羽の基本型を創始しました。
 ・上田宗箇作は利休形と織部形の両方が現存し、置いて使うので掛緒はありません。
 ・小堀遠州は主要な茶道具並みに執心し、銘を付け箱書した羽箒が多数あり、関連書状も多く
  あります。自領である備中で野雁を自らとって羽箒にし、織部形を基に羽を厳選し、
  三枚ぴったり揃えた美しい羽箒が多く現存しています。羽五寸柄三寸の小型です。
 ・遠州流は歴代家元が自作や箱書きしたため、古い羽箒が最も多く現存しています。
 ・富山の林義牧派遠州流は羽箒を駆使しています。挨拶や点前に用い、
  後炭では小羽箒で風炉の灰を客前で直します。
 ・井伊直弼は、迎付けに羽箒を持ち出し、羽箒の掃き方は亭主の心を表すとしています。
 ・明治~戦前の近代数寄者たちは、多種多様な羽箒を作りました。江戸時代には禁鳥制度があり
  ましたが、それが崩壊し野鳥の狩猟、飼育、贈答が流行、特に日本統治下の国々で鳥類学者も
  多種多様な鳥を標本として多数採集した時代だったから多種多数作れたのです。

羽箒の年代測定について
私は「生き物文化誌学会」の助成を受けて、羽箒の放射性炭素年代測定をし、江戸時代の羽箒が現存することを、初めて科学的に証明することができました。修理の時に出たわずかな羽枝でも最先端の分析技術により測定ができ、その結果は1646年から1673年。遠州は1647年没ですし遠州蔵帳の近代の図録にこれと同じ「青鸞三羽」の写真がありますので、遠州作の可能性もあります。

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