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歌舞伎の魅力  水口 一夫 氏
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雨男の水口でございます。台風の影響で、大阪はえらい風と雨、電車も止まってるし、今日はないやろうなあと思っておりましたが、なんと中田さんが大阪まで車でお迎えに来てくださり、「拉致」されてここまで参りました(笑)。

このところ、歌舞伎に関して声をかけていただいている催しが「中止」になることが多いんですよ。福井県坂井市丸岡町の子ども歌舞伎は、建物の耐震工事で中止になりましたし、徳島県鳴門市での8代目市川團蔵の 50 回忌公演は、役者さんの不慮の事故で中止になっちゃったりして。だから、今夏の但馬での中止が、3度目になっちゃうかなあと思っておったのですが、中田さんの情熱によって救われました。

さて、会場にいらっしゃる皆様の中で、歌舞伎をご覧になっていない方は?いらっしゃいますか?(パラパラと手が挙がる)2人、3人・・・!な、、どういうことだっ!(笑)それでは、東京や大阪や京都へ、はるばる遠征して歌舞伎に見に行かれる方は?(たくさんの手が挙がる)おおお!すばらしい!

なぜ僕がこんなに歌舞伎にのめりこんでいるのか、というところから、今日はお話しようと思います。僕は、京都は祇園、お茶屋の生まれ、ぼんぼんです。生家から歩いて3分のところに南座がありました。そういう環境ですから、南座には小さいころから入り浸っていました。とてもおおらかな時代でして、おー、入れ入れって、ただで入れてもらってました。歌舞伎は子どものときから、当たり前にずっと隣にある存在でした。学校の同級生が歌舞伎のことをあんまり知らないのが、不思議なくらいでした。

小学校3年生の時、僕もそのころはとても可愛かったんですけれどね、僕は歌舞伎役者になりたくてね。相談したら、東京の歌舞伎役者さんのところの養子になりなさいってことで、行くつもりにしていました。そうしたら、行く前に、腎臓を患ってしまって、それどころじゃなくなってしまった。養子に行く機会を失ってしまって、歌舞伎役者になろうとする気持ちが失せてしまった。

その思いが再燃したのが、高校を卒業する時でした。また、歌舞伎役者になりたい、なりたい!と、どうにもたまらなくなった。「また、そんなこと言うなんて、お前、家を出て行く覚悟あるんか!」って、親からも言われてしまって。当時の歌舞伎は、本当に人気がなくて、ダメで、客が入ってなかったですからね。それで僕は、片岡仁左衛門さんのところに、「弟子にしてください」と言いに行った。そしたら「わしには息子が3人おるんやで、そら無理や」と言われてしまった。あきらめるより仕方なくなってしまってね。

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