セッション
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アルメニア <十字の石> を訪ねて 長岡 國人 氏
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あ、そうそう、そもそもなぜ「アルメニアの十字の石」なのかについて説明してませんでしたね。僕はどこで「十字の石」を知ったのか。これはね、とある年のベネチア・ビエンナーレ(イタリアのベニスで2年毎に開催される美術の祭典)に行ったときにね、ま、展示を見るのにも飽きちゃったし、ちょっとサン・ラッザロ島まで行ってみたんです。 この島がアルメニアと関係があるんです。1715年、12人のアルメニア人修道士がアルメニアから逃れてこの島にたどり着きます。ヴェネチア政府は、新しい修道会の拠点を認めてなかったんだけれど、この島だけは例外とされて、アルメニア修道士によって神の道とアルメニア文化が伝えられることになった島なのね。サン・ラッザロ島とアルメニアは古い歴史がある。 このサンラッザロ島には、ギリシャ生まれのイタリアで活躍しているアーティストの作品をがいたるところにあるの。例えば、図書館の本棚とか。展示してあるというのではなくて、いろんなところに棚とか台が置かれていてね。僕は彼の作品を見るために島に立ちよったわけなんだけれど、ここで、僕は「アルメニア」に会うことになった。図書館のショップの棚に置かれていた本を何気なく手にとってパラパラとめくっていたら、アルメニアの十字の石が出てきた。わあ、こんな石があるのかあって。これが、僕と「十字の石」との出いです。 さて、アルメニア人の死者への接し方は、この写真に現れていると思います。お墓にお参りにやってきた家族です。ビニール袋に食べ物や飲み物を入れて使っていますね。お墓の上でこんなふうに食べものを並べて、おしゃべりしながらにこやかに食事をしている。まるでピクニックのように。死者と共に楽しむ昼食。死者はとても近く一緒にいるのですね。 服装や持ち物から分かるように、アルメニア人の多くは非常に質素な暮らしをしています。都市のレストランで優雅にご飯を食べている人の多くは、地元に生活しているアルメニア人ではありませんね。海外に出るアルメニア人も非常に多くて、一部の人はビジネスで成功して、故郷になんだかド派手な別荘を建てちゃったりもしてますけれどね。また、アルメニアの美術館に建設費用を寄付されたりする海外在住アルメニア人もいます。 この建物は修道院ですね。こういう場所にかたまって十字の石がある。これは教会です。写っている人と比べて見ていただいておわかりのように、そんなに巨大な建物ではない。しかし非常に美しいプロポーションです。このアーチの感じとか。後にヨーロッパに建築された教会の原型として見てもいいと思いますね。 アルメニアのいろいろな都市で教会を見ましたが、だいたい窓はこんな感じ、この程度です、今の日本人の感覚で思い描く「窓」の概念なんてないんです、石の裂け目から光がさっと中に差し込むのね。あるいは、天井にただ穴が空いているだけで、そこから光を取り入れる。時間によって光が祭壇に当たるように考えられている。その光と影のコントラストがさあ、ほんとに美しいのね。まあ僕は観光客じゃないんだから、こんな写真しか撮ってませんけれどね。 → 次のページ
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