セッション
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分水嶺を超えた社会の福祉 西池 匡 氏
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但馬が生んだ偉大な教育者、東井義雄の言葉に「村を育てる学力(教育)」という言葉があります。私はこれにならって、「村を育てる福祉」というものを、このシカバレーで実践しようと思った。福祉によって村を、人を、大人たちを、子どもたちを育てようと。ちなみに、東井義雄も私の寺と同じ宗派の浄土真宗です。 この、シカバレーの中の施設のひとつが、サービス付き高齢者向け住宅(いわゆるサ高住)、「サンバレー安良」です。最近、このタイプの施設のニーズが非常に増えてきています。どんな施設かと申しますと、「家」なんですね。今住んでいる住宅からここに引っ越ししてきてください、ここをあなたの「家」として、普通に生活を送ってください、と言う感じでね。高齢者専用の賃貸マンションです。 「家」ですから、介護保険事業・施設ではありません。これまで生活してこられたように、そのままのご自身での生活が基本です。ただ、スタッフが少し見守っている、相談にのったり、場合によっては少しサポートする、その程度のことなんですね。そうすることで、安心した生活を提供しています。 近所に身寄りのないおばあさんがいるでしょ、「あんた、わしの施設にはいりんせえ、わしが面倒みちゃるから」って感じでね。サ高住に入ってもらう。普通にこの「家」で暮らしてもらう。 しかし、普通に接していくことって非常に難しいんです。普通って難しいんですよ。スタッフには大変なことを要求していて、本当に申し訳ないなあと思っているのですけれど(スタッフ不足も深刻な問題です、なんといっても、人的パワーがなにより大切ですから。常に次の人材を育てていく視点がないと、どんなことも長続きしません。会社でもどんな団体でも言えることでしょうけれどね)、とにかく、スタッフには、できるだけ一緒に暮らしてもらうようにお願いしています。できるだけ普通に生活してもらって、最期を見送るんです。 ちょっとスタッフの目を離した間にけがをしたとか、朝起きたら亡くなっていたとか、そういうことも当たり前に起こる普通のことなんですから、ご家族には理解をしていただいています。後で訴えられるなんてことになったら、この施設そのものが存続しなくなってしまいますのでね。訴えないでくださいね。普通に暮らしてもらって、普通に死を迎えていただきたいんですから。 とうわけで、監視して閉じ込める方が、管理する側としては楽なのかもしれませんが、そんな発想とは全く逆の運営をしています。また、いまの日本のターミナルケアは、たくさんの管を体につけて、延命措置を行いますけれど、ここでは、できるだけ普通に死んでもらおうと思っているんです。 中田)実は、私の母もご縁があって、シカバレーでお世話になっているのですが、ほんとに、普通の家なんですよね。そして、なにより、スタッフのみなさんが素晴らしい!! 制服もなくて、どの方が入居者なのか、入居者のご家族なのか、スタッフさんなのか、あるいはたまたまそこにいる地域の方なのか、分からないくらい、みんなが自然にふるまっている。 私自身、そんなにたくさんの福祉施設を見学したわけではありませんけれども、シカバレーは、なんといいますか、オープンでとても風通しがいい、まさに多世代共生の穏やかな雰囲気に満ちているんです。みなさんも一度見学に行かれることをお勧めします。 また、シカバレーが行うイベントは、施設の敷地内で行わないんですよね。どんどん地域に出かけて行って、地域の中で、地域の人たちと一緒に、子どもたちも一緒に楽しくやる。この姿勢は本当に素晴らしいと思います。 はい、地域の中で、子どもたちが小さいころから「仲間」として扱われること、「仲間」であることを刷り込んでいくことは、ものすごく大切なことであると思っています。すでに、「誰もが使える福祉」の時代は終わったとみています。仲間でもない人を助ける余力は、もうどの人にもない。仲間同士で助け合って、顔の見える小さなつながりの中で力を併せて生きていくしかないんです、仲間だから支え合えるんです。だから、広く一般的な「人類みな仲間」的な意味ではなく、狭義の意味での「仲間づくり」がこれからますます重要になると思っています。 1. 仲間が支え合い、安心して暮らせる社会 この3つが、私たちの目標です。 |