セッション
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いのちのヴァイオリン 中澤 宗幸 氏
8. 被災木でヴァイオリンをつくる(生きることと音楽 ②)
ああ、素晴らしいお話。中澤さんがなぜヴァイオリンの修復師を目指されたのか、非常によく分かりました。そして、現在は、津波ヴァイオリンの活動をなさっています。そのあたりのお話を次に聞かせていただく前に、DVDをみんなで見たいと思います。 (DVD鑑賞) ※ 中澤さんは被災地で、津波に流されうず高く積まれた木材の山から、ヴァイオリンに適した木を探して歩きました。著しく傷ついた木材に触れながら、中澤さんは、この木々が生きていた時のことを思って涙がでそうになります。その時、中澤さんの頭によみがえってきたのは、ヨーロッパでの修業時代に出会った一つのヴァイオリンのことでした。ヴァイオリンの側面には、ギリシャ語で詩が刻まれていました。「私が生きていたとき、私は木陰で人を休ませてあげた」。ヴァイオリンになった木には、かつての木としての機能は失われている、けれど、「美しい音色で人に安らぎを与えることができる」。被災した木々も、ヴァイオリンとして生まれ変わることで、ここで同じ時間を過ごした人々の記憶を未来に残すことができる。「津波ヴァイオリン」への思いを中澤さんはそのように語られます。 津波ヴァイオリンを多くの人に弾いてもらうことで、この大きな悲しみを語り継いでいきたい。自然への畏怖の思いをメッセージとして持った楽器が、これから300年も400年も引き継がれていきますように。そんな思いを込めて、津波ヴァイオリンの1000人プロジェクトが始まります。 また、中澤さんは「奇跡の一本松」にも深いまなざしを向けられます。たった一本だけ残った松の木。周りの木たちは自分たちの運命を知っていて、必死でこの一本の松の木の「命」を守ったんだろう(残念ながらこの最後の一本も枯れてしまいましたが)。
ともかく、あの日からずっと、重い気持ちでした。一体、自分に何ができるのか、自問自答するような日が続きました。そしてある日、テレビで被災地のことを見ていて家内がこういったんです。「あの被災木は、ずっと人々の生活を見てきたと思う。『瓦礫』として処理されてしまうなんて。あれは『瓦礫』なんかじゃないよね、お父さん」って。それで、僕は被災した木材でヴァイオリンをつくろうと思ったんです。そのとき、すぐに決めました。 → 次のページ「9. ふるさと但馬への思い」
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