セッション
|
私が『民藝』から学んだこと 上野 昌人 氏
1
元々はグラフィックデザイナーですが、東京の出版社で古美術や骨董の雑誌『目の眼』の編集を8年間やっていました。2010年7月に400号記念増刊として「サヨナラ民芸。こんにちは民藝」を刊行。わからないなりに、民藝の過去、現在、未来というテーマで2人ずつの対談3本を企画したものが好評を博し、これがきっかけで民藝との関係が深くなって知らないうちにどっぷり民藝にはまっていました。民藝の「藝」と「芸」という字は、戦後、当用漢字として「芸」に統一されました。 民藝と言えば、柳宗悦です。白樺派で実は中心的な役割を果たしていたようで、雑誌「白樺」でセザンヌやゴッホ、ルノアールを初めて日本に紹介したのも彼です。 関東大震災後、柳は10年間京都に住みますが、この10年が非常に大事です。京都時代、柳は民間の人が作った木喰仏に注目しました。空いている時間は骨董市に通いつめ、貨車4台分のコレクションを買い漁ったといわれています。これが日本民藝館のベースとなっています。ただし、このうちのどれだけが柳の集めたものなのか、関係者がなく、わからない状態です。 今、「民芸」はブームで、お金になると言われています。「民芸」とつけばびっくりするほど売れて商売になります。しかし、これらは柳宗悦のいう「民藝」とは別のものです。津軽のつぎあてなど、もともと親しい人のために作っていたものが、江戸時代、数を作って商売にしていったところから、民芸、そして工芸へと変質していきました。もとは自分や家族のために作られたものであり、その中には「愛」があります。「愛」は民藝の大事なファクターです。手仕事で作ることによって自分も人も救われるという、仏教的な側面があります。柳宗悦の民藝思想の原点もここにあります。 → 次のページ
|