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左官のしごと  久住 章 氏
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土壁のプロ、数寄屋の職人、町屋の壁の土を塗る人、茶室の職人、みなさん、僕のことを気遣ってくれて、いろいろな呼び方で呼んでくださいますけれど、僕は、まあ、普通の左官職人です。

僕は25歳くらいから左官を始めました。淡路には線香をつくってる会社がたくさんあって、若いころから線香メーカーの社長さんの自宅部屋をまかせてもらってました。10畳くらいの部屋でね、好きなようにしてええ、ということだったので、ほんまに好きなようにさせてもらいました。若いときは、地味ぃな壁を塗ってんのが嫌になったりするんですよ、飲み屋のキレイなちょっと派手なおねえちゃんに、ふらふら〜ってなるのとおんなじでね。

日本の漆喰と、ヨーロッパのバロック時代の石膏は、技術的に全く異なるものです。明治期、日本に石膏が入ってきたとき、日本の左官屋は、その西洋風の雰囲気をなんとかして真似しようと、漆喰で工夫してやっていました。それで、すばらしいものをつくってきたんです。けれど、明治の職人ががんばってやってきたことは、今ではもうすっかりなくなってしまった。新しいものに出会ったとき真似して工夫したろかと思う気構えみたいなものも、今の時代の人にはあんまりありませんね。僕はね、そういう昔の職人たちの「気持ち」を受け継ぎたかったんです。それで、線香屋の社長の部屋を、左官でフレスコ壁画に仕上げました。壁だけで2千万円ですよ。よぉそんな仕事させてくれたなあと思います。

今は建築家が「絵」を描けない。ちょっと前の建築家は、みんな「絵」が描けた。建築家が描いた「絵」を見て、職人は自分が何を求められているかわかったし、腕を発揮することができたんです。辰野金吾の東京駅、片山東熊の赤坂離宮(旧東宮御所)、日本の職人の技が随所に発揮されてるでしょ。ただヨーロッパの真似をしてるだけちゃうんです。建築家が日本の職人の技を引き出し、日本の職人の伝統を時代に応じて革新させていく力をもっていたんです。

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